レビュー・冬でも薄着の彼が風邪を引いた

何気ない日常も、立派な文学作品になる
 

「前の住所のままなので来年は届かないが言わない」
「じゃあまたねの本気度をはかる」
どこかおかしくてどこか切ない自由律俳句151句。
飲食店で感じた抑えられない気持ちを描いた「グルメレポート」。
留年後にひとりで行った大学の卒業旅行を描いた「卒業旅行記」。
離婚後に四国遍路をひとりで歩いた旅行を描いた「四国遍路ひとり歩き旅行記」。
著者の人生の分岐点をナンセンスに切り取ったエッセイ3編も収録。 

 

 

この本は、151句の自由律俳句と3編のエッセイから構成されています。

まず自由律俳句とは、『五七五の定型俳句に対し、定型に縛られずに作られる俳句』(Wikipedia)だそうです。

京大出身の高学歴な作家さんが、いったいどんな俳句を書くのだろう?
知識の乏しい私にも、理解できるだろうか?

そんな不安を抱きながら本を開いた、一番初めの俳句

『喫茶プリティウーマンからじじいが出てきた』

初っ端からの何とも言えないゆるさに、私の肩の力がふっと抜けました。

たった十数文字の短い一文なのに、面白さが凝縮されている。
どこかおかしくて、でもほっこりさせられる。
そんな俳句たちでした。

個人的に一番好きな俳句は、

『社長が山田様を山口様と呼び続けている』

ちょっぴりシュール、でもその光景が浮かんできて、思わず笑わせてくれる作品です。


こんな日常の何気ないことでも、著者の手にかかれば文学作品になるのだと思うと、
著者の前田さんの手腕に思わず敬服してしまいました。

3編のエッセイも、どこかゆるくてシュールで、でも不思議と心が和んでいくような、不思議な暖かさを感じます。

これまで私は、本を読むことで何かを学んだり、強く心を揺さぶられたりすることを、重要視していました。
ですが、時にはこの本のような、ゆるーくほっこりさせてくれるものを手に取るのもいいな、と思わせてくれた作品でした。

レビュー・死にがいを求めて生きてるの

長い前置きと、一番最後に訪れる恐怖
 

誰とも比べなくていい。
そう囁かれたはずの世界は
こんなにも苦しい――

「お前は、価値のある人間なの?」

朝井リョウが放つ、〝平成〟を生きる若者たちが背負った自滅と祈りの物語

植物状態のまま病院で眠る智也と、献身的に見守る雄介。
二人の間に横たわる〝歪な真実〟とは?
毎日の繰り返しに倦んだ看護士、クラスで浮かないよう立ち回る転校生、注目を浴びようともがく大学生、時代に取り残された中年ディレクター。
交わるはずのない点と点が、智也と雄介をなぞる線になるとき、 目隠しをされた〝平成〟という時代の闇が露わになる。

今を生きる人すべてが向き合わざるを得ない、自滅と祈りの物語。 

 


 

本の題名になっている、「死にがい」とは何だろうと思い、手に取ってみました。

この本は、登場人物である6人の名前が各章題になっています。
初めに本の目次だけをざっと見たときは、それぞれの人が独立して死生観について語ったものをまとめた短編集だと思うかもしれません。

けれども、実際に読み進めるほど、それぞれの登場人物の視点から書かれた話が次第に絡み合っていき、次第に一つの壮大なストーリーを描き出していることに気づかされます。

自らの「死にがい」についても考えさせられる深みを持った本でもありますが、
私は特に、この本のミステリー要素が面白いと思いました。

最初のうちは、なかなか話の展開が見えず、ページ数も500ページ近くととても長いため、漠然とした先行きをひたすら追いかけているような気持になります。

最後まで読む前に、飽きてしまう方もいるかもしれません。
正直私も、途中で挫折しそうになりました。

けれども、終盤に近付くにつれて次第に明らかになっていく話の全貌と、その中で見えてくるいびつな友情というものに、最後はゾッとさせられます。
伏線をすべて回収したラストのシーンには、

「今までの全ては、この瞬間のための長い前置きだったのか!」

と目の前のもやが、全て晴れるような感覚に陥ります。

根気強く最後まで読むことはたいへんですが、読んだ人だけがこの最骨頂を味わうことができます。

レビュー・「人見知り」として生きていくと決めたら読む本

人見知りをするような内向的な人は、洞察力も鋭く、豊かな感性と能力に恵まれている。
すぐに自分を責めたり、人と比べて落ち込むなど、「こうすべき」「これが正しい」という思い込みを捨て、本来の能力を開花させながら人生を楽しむ方法を著者の実体験を交えて本音でお伝えしていく。

 

「人見知り= 損」だと思う方、結構いるのではないでしょうか。

 

かく言う私もかなりの人見知りであるため、これまでの人生で損したことも多いと考えてきました。

 

しかしこの本で、自身も人見知りである筆者の午堂さんは、

 

「人見知りであっても何の心配もありません。私は今とても幸せな生活を送っています」

 

と断言しています。

 

それはなぜか?

「人見知り」として生きていこう―

こう決め、それでもやっていける環境を作ってきたからだそうです。

 

この本では、「人見知り」を一つの「資質」としてとらえ、いかにその資質を生かしていくか、その方法が書かれています。

 

人見知りだろうと何だろうと、自分に適した環境に身を置けば、自分らしく伸び伸びと、充実した人生を送れるようになるといいます。

 

例えば人見知りの人は、「自分はコミュニケーションが苦手であり、下手である」と感じています。

ですが、そもそもコミュニケーションとは本来双方向に行われるものです。

自分が一方的にしゃべるだけの単なるおしゃべりは、外交的に見えてもコミュニケーション下手と言えます。

 

その点、コミュニケーションが苦手だと感じている人は、聞き役に回ることが多いため、相手の満足度が上がるなど、むしろ長所になり得るそうです。

 

他にも、パーティーや宴会での振る舞い方として、

 

「出席すればOKと割り切る」、 「(朗らかな顔で)ひたすら食べて飲む」、「注文係・鍋奉行・お酌委員会に徹する」といった、実際の場面を想定した、人見知りのための世渡り術なども豊富に書かれています。

 

「人見知り=悪いこと」と思い込んでしまうと、なかなかそのネガティブイメージから抜け出せないこともありますよね。

 

ですがこの本を読むと、人見知りなら、いかにその「個性」を生かして生きていこうかと、前向きになれる気がします。

 

成功する性格や個性が決まっているわけではないし、性格で成功する・しないが決まっているわけでもありません。

成功に必要なのは、自分の性格や個性を大切にして生きる姿勢であり、自分が生きがいとして感じられる環境に身を置く、あるいは自らその環境を作り出すことだそうです。

 

自らが人見知りであることを認めてしまえば、ポジティブに物事をとらえられるようになりそうですね。

 

 

レビュー・北里柴三郎(上)-雷と呼ばれた男 新装版 山崎光夫

コロナ禍の今こそ知ってもらいたい!

伝染病との戦いに生涯を費やした男の生涯を!

 

第一回ノーベル賞を受賞するはずだった男、北里柴三郎。その波瀾に満ちた生涯は、医道を志した時から始まった。「肥後もっこす」そのままに、医学に情熱を傾ける柴三郎は、渡独後、「細菌学の祖」コッホのもと、破傷風菌の純粋培養と血清療法の確立に成功する。日本が生んだ世界的医学者の生涯を活写した伝記小説。


大河ドラマ渋沢栄一が取り上げられているために、若干影が薄い(?)新千円の顔、北里柴三郎さん。

ですが、このコロナが流行っている今だからこそ知ってもらいたい!

伝染病との戦いに生涯を費やした男の生涯を!

 

この本は、北里柴三郎本人を主人公に、その生涯を描いた小説です。

難しい伝記などではなく、比較的読みやすい話だと思います。

 

若かりし柴三郎が、医学の道を志す決意するに至った師匠との出会い。

ドイツに渡り、ペスト菌破傷風の治療法を発見するに至るまでの莫大な苦労と情熱。

帰国後、伝染病研究所を設立し、伝染病予防と細菌学の研究に魂を注ぎ続けた一生。

 

「日本細菌学の父」と呼ばれた偉大なる医学者の生涯を、笑いあり涙ありで鮮やかに描き出しています。

 

柴三郎が一躍有名な医学者として名を馳せたのは、破傷風菌の血栓療法を確立したことがきっかけです。

この業績を評価されて、初代ノーベル生理・医学賞を受賞するとも言われていたそうです。

 

結局は、当時アジア人への差別などもあり、柴三郎がノーベル賞を受賞することは叶わなかったのですが…。

 

柴三郎はドイツに留学中、恩師である世界的な細菌学者コッホの下で破傷風菌の研究に取り組みます。

しかし柴三郎は当時、国費で「期限付きの」留学を許された身でしかありませんでした。

 

あくる日もあくる日も寝る暇も惜しんで研究に打ち込む日々。

しかし、あと少しというところで留学の期限が迫ってきます。

 

「なにがなんでもこの研究で成果を出したい!」

 

その強い思いと研究への高い情熱が、頭の固い日本の役人をも動かします。

柴三郎は、当時異例であった留学延長の権利を獲得し、やがてノーベル賞候補に選ばれるまでの、高い業績を挙げるのに至るのです。

 

そんな偉大過ぎる柴三郎ですが、実は人間味あふれた面白みがあるのも魅力。

10歳以上年の離れた若い奥さんが家にいるにも関わらず、研究のプレッシャーに負けて女遊びを繰り返し、それを今でいう週刊誌に書かれてしまいます。

 

またあくる日は、自らが設立した伝染病研究所で、気に入らない部下にすぐに癇癪を起こす始末。癇癪がひどすぎて、あだ名が雷になってしまいます。(これが、この本の副題の由来ですね。)

 

偉大なんだかダメ親父なんだかわからない、でも憎めない北里柴三郎さんの魅力に、

ぜひ触れてみてください!

 

 

 

 

 

 

愛なき世界 三浦しをん

 

恋のライバルが人間だとは限らない!

洋食屋の青年・藤丸が慕うのは〝植物〟の研究に一途な大学院生・本村さん。殺し屋のごとき風貌の教授やイモを愛する老教授、サボテンを栽培しまくる「緑の手」をもつ同級生など、個性の強い大学の仲間たちがひしめき合い、植物と人間たちが豊かに交差する――

本村さんに恋をして、どんどん植物の世界に分け入る藤丸青年。小さな生きものたちの姿に、人間の心の不思議もあふれ出し……風変りな理系の人々とお料理男子が紡ぐ、美味しくて温かな青春小説
 
愛なき世界は愛にあふれていました
表紙の可愛さに魅了されて手に取ってみました。
「愛なき世界」という題名だったので、表紙に反して冷たい話なのかなと想像していましたが、実際には愛に満ちあふれた心温まる本でした。


率直に二人の恋愛模様も面白かったですが、それ以上に現役の大学院生には共感できる部分が詰まった本だと思います。
普段あまり小説を読まない(読む暇がない)であろう理系大学院生にこそ、ぜひ読んでもらいたいと思いました。


研究分野は違えど、理系の院生としての経験がある私には、
「実験が成功したかも!!」という、舞い上がるような幸せや、その後失敗だとわかったときの、体の芯まで冷たくなるような絶望感、締め切りに追われるプレッシャーなどが痛いほどよくわかります。
でも、心強い仲間に支えられながら、研究の楽しさや本質を見出していく本村さんの姿に励まされ、勇気をもらいました。

ぜひ、二人の恋も成就してほしいな!!

愛の形は一つじゃないから、
本村さんが植物以外を愛せないと思っても、それも含めて藤丸が本村さんを愛する。
そして、そんな藤丸に支えられながら研究にまい進することだって、十分「愛」だと私は思います!

レビュー・この気持ちもいつか忘れる

 


(Amazonより)

大ベストセラー『君の膵臓をたべたい』の著者による、初めての恋愛長篇!

退屈な日常に絶望する高校生のカヤの前に現れた、まばゆい光。

それは爪と目しか見えない異世界の少女との出会いだった。

真夜中の邂逅を重ねるうち、互いの世界に不思議なシンクロがあることに気づき、二人は実験を始める――。

最注目の著者が描く、魂を焦がす恋の物語。小説×音楽の境界を超える、新感覚コラボ!

 

前半と後半で全く別の世界観だと思いました。


前半は、幸せが溢れていました。

まるで自分と大事な人だけがこの世界に存在するような、
ただそれだけにまっすぐになれるような、純粋な気持ちになれました。


作中では「突風」と書かれていましたが、本当にアオハルな世界観でした。

一方で後半では、今生きている現実に向き合わなければいけない、という葛藤を感じました。
主人公が、過去の幸せにしがみついて、前に進めないでいた姿を見て、
なんだか哀れになってきた。とても苦しかったです。

でも主人公は、そんな姿をさらけ出すことで、
今まで自分を囲ってきた幸せの殻が良い意味で砕けて、前に踏み出します。
大人への階段を昇っていきました。

葛藤を抱えながらも前に進んでいく姿を見て、
大人になることも案外悪くないんじゃないかな?と思いました。

自分をすべてさらけ出して、そんな自分を受け止めてくれた人に出会えた
今の主人公の姿は、
楽しいという言葉は当てはまらないかもしれないけど、
今までみたいに嫌々生きてます感はなくなってきたように感じました。

「嫌でない」なら、それはそれでいいんじゃないかな。
そんな日々が十分幸せなんじゃないかな?と思いました。

レビュー・幸せになる勇気

 


(Amazonより)
"3年ぶりに哲人を訪ねた青年が語る衝撃の告白。
それは「アドラーを捨てるべきか否か」という苦悩だった。
アドラー心理学は机上の空論だとする彼に「貴方はアドラーを誤解している」と哲人は答える。
アドラーの言う、誰もが幸せに生きるためにすべき「人生最大の選択」とは何か?
  貴方の人生を一変させる哲学問答、再び!"
 
本の題名が「幸せになる勇気」ですが、実際には、勇気の出るような明るく希望に満ちた本というより、自分の未熟な部分を見つめなおすきっかけになるような話です。

読むうちに、自分の未熟な部分を本を通してえぐり出されるような瞬間もあり、とても苦しくなる瞬間もありました。
まるで劇薬のような本だと思いました。

けれども、今まで自分が目を背けてきた部分と向き合わされる中で、変わりたいという思いも芽生えました。
変わって、今までより少しでも幸せを感じられる人生を生きたい。
そのための勇気をくれる本だと思いました。



変われない本当の理由
今、ここを生きているのは私自身、だから私はいつでも自己を決定できる存在、
新しい自分を選択できる存在
なのに、なかなか自分を変えられない、変えたいと思っても変われない。
それは、
「変化することは、「死そのもの」である」「本当は変わりたくない」からである。(p63)

 



自分を変えたくてもなかなか変えることができない自分に葛藤を抱えることもありました。
そんな自分が嫌いになることもありました。

けれども、自分を変えることを「死」表現されると、
正直、変わることはとても難しいことだと感じました。

自分が変われないことを肯定された(そんなに難しいことは、相当な覚悟がないとできない、とても難しいことである)ようにも感じてしまいました。
 
その後の、「いくら現状に不満があるからといって、「死」を選ぶことができない、
だから人は現状を肯定するための「このままでいい」材料を探しながら生きることになる」という文章は、そんな自分の心を言い当てられているようでした。

それなら、無理してまで(自分を殺してまで)「変わる」という気持ちを持たなくてもいいのではないか?
今の自分に、新たな自分を「足して」いけば、いいのではないか?
そんなふうに思いました。
 
「今の自分」も大切に、そこに新たな自分を足していこう。