レビュー・年収90万円で東京ハッピーライフ 大原扁理
年収90万円で、誰よりもハッピーに暮らす方法(しかも東京で)。
堀江貴文氏、共感!
↓↓↓
親も先生も信用してはいけない。
就職しなくても生きていける。
終身雇用なんて期待するな。
世間の常識は疑ってかかれ。
同調圧力や空気に負けるな。
人生は一度きり。他人に自分の運命を左右されるのは御免だ。
など、僕と考え方はほとんど同じだ。
「働かざるもの食うべからず」なんて、古い。---堀江貴文
年収がたったの90万円で、あの物価の高い東京で、決して貧弱にではなく、むしろ毎日ハッピーに暮らしている…。
「そんなことができるのか!?」というのが、まずこの本と出会った時の私の感想でした。
オリラジの中田さんがおすすめしていたのをきっかけに、実際に手に取ってみたのですが、結論から言うと、この本に出会えてとても良かったです。
私はとりあえず、今すぐ現在の働き方・生き方を変えたいとは思っていないので、この本を読んでいきなり、「私も年収90万円くらいで楽しく生きられるようになろう!」とはならなかったです。
ですが、「周囲の価値観に縛られない、自分にとっての幸せ」の大切さを考えさせられる、とても良い機会を得ることができました。
この本ではまず、筆者の大原さんが現在の「隠居」生活に至るようになった経緯を、幼少期から振り返るような形で、一つずつ現在の価値観を形作ってきた体験を紐解いていきます。
そして話の後半では、実際に大原さんが、年収90万円という世間一般からしたら少ない給料で、日々どのように生活しているのか、年金や税金、将来の蓄えはいったいどうしているのかといった、より実用的な話に移っていきます。
先ほども述べたように、私は現在の働き方・生き方に多少の不満・我慢はあれど、良い面もあるため、「まあいいか」という感じで、今すぐ何かを変えるつもりはありません。
そのため、この本の後半に出てくる大原さんの実際の生活の仕方については、今すぐ参考にする、というよりも、「こんな生活の仕方もあるのか!」という、新たな価値観を得るような感覚で読み進めました。
そんな中で学んだのは、お金をかけなくても、常に自分の心に寄り添い、心のチューニングをしながら丁寧な暮らしをすることで、いくらでも快適な生活というのは手に入れること。
「幸せは自分の心が決める」という文言を時々耳にしたことがありますが、私はこれまであまり実感をもってそれを理解できたことがなかったです。
ですが大原さんの、「丁寧な暮らしをすることで、毎日を自分で生きている実感が持てる」といった話から、自分の頭で考えて、きちんと納得したうえで選んだ行動が、自分に幸せをもたらしてくれるのだと感じました。
自分が納得したうえで選んだ行動というのは、決して人生の大きな決断だけに限りません。
一日一日、そして今という一瞬をどうやって過ごしたいか、いつも自分の心に問いかけ、自分で考えて行動することが、とても大切だと学びました。
自分で考えた結果、その時間をダラダラ過ごすのだって、全然問題ないと思います。
何度も繰り返しますが、大切なのは「自分の頭で考えて、納得したうえで行動に移すこと」。
世間がこう言っているから…、なんてことに振り回されていたら、いつまでたっても「自分自身の幸せ」はつかめないのだとわかりました。
大原さんは、幼少期から貧乏な家庭で育ち、学生時代は壮絶ないじめにあったりと、若くして波乱万丈な人生を送ってきたそうです。
そんな日々の中で形成されてきたであろう、「辛いことからは逃げる」、「自分が日々平和に過ごせる居場所を見つける」といった価値観はとてもリアルで、私の心にすんなりと入って定着しました。
世間は、「逃げるのは悪」、「みんな必死に働いているのだから、お前も多少の辛さは我慢しろ!」なんて無責任な価値観をよく押し付けてきます。
ですが、そもそも世間と自分の「幸せ」の基準が、同じとは限らないのです。
お金をたくさん稼いで、贅沢な暮らしがしたい人は、ストレスにつぶされそうになりながらも、何とか働き続ければいいと思います。
そこまでお金が必要ない人は、何も正社員とか肩書とかにとらわれずに、マイペースに自分が必要な分だけ稼げばよいと思います。
何度も言いますが、大切なのは「自分で考えて、決めること」。
そしてそのためには、「自分にとっての幸せ」が一体どんなものなのか、いつも自分の心に問いかけてあげることだと思います。
今の私は、色々とやりたいことがありお金がたくさんほしいため、仕事のストレスはあれど、それを軽減させる方法を学びながら、しっかり働いていければと思っています。
そして、自分の価値観は日々変わるものなので、いつも私の心に問いかけてみて、「そこまでお金は必要ない」という価値観に変わるときが来たら、その時は大原さんのようにゆるく丁寧にのんびりとした生活を送れたらいいな、と思います。
「世間」に捉われない、私自身の心の声に従うことの大切さを教えてくれた本でした。
レビュー・天を掃け 黒川裕子
「星を見つけるのが、おまえのやりたいこと?」
無言でうなずいたすばるに、駿馬は息を呑む。
「……わかんないけど、その夢、ハードル高すぎね? むずかしいんじゃないの」
「ハードルの高さは関係ない。あんたはむずかしかったからあきらめたのか? ……夢」
ビー玉みたいな目が駿馬を射貫く。浮かべた笑みは、挑発、いや、嘲笑だ。
駿馬はぽかんと口を開けた。
ジャブなしの右ストレート、またはロープに振らない三角飛びドロップキック。
――強烈。 (本文より)
短距離走者(スプリンター)として期待されながらも、走れなくなった駿馬(しゅま)は、たったひとりで小惑星探索にいどむすばると出会う。中学2年生の初夏の物語。
モンゴルの大草原の地で育った主人公・駿馬(しゅま)。
彼は毎晩、あたり一面の星空の下で、相棒の馬・流星(ハルザン)と共に、大地を駆け巡る日々を過ごしていました。
大好きな相棒と共に、大地を踏みしめ走る幸せを感じ、大切な友人に囲まれながら、伸び伸びと育った駿馬。
ですが両親の仕事の都合で、中学に上がると同時に、故郷のモンゴルを離れ、日本にやって来ることになります。
モンゴルと日本の環境の違いに戸惑うこともあれど、徐々に新たな環境に適応していく駿馬。
中学では陸上部に所属し、場所は変われど、変わることのない走ることへの情熱を抱えながら、充実した日々を送ります。
そんな日々が途絶えてしまったのは、「天才ランナー」としての周囲からの期待を一身に浴びながら、陸上の全国大会に参加したときでした。
駿馬は、突然の足の故障により、思うように足が動かせなくなってしまいます。
それに追い打ちをかけるように、モンゴルの友人から伝えられた訃報。
故郷のモンゴルで毎日ともに大地を駆け巡っていた相棒の馬・流星(ハルザン)が、突然亡くなったことを伝えられたのでした。
自らの思うがままに走る喜び、そして故郷でいつも一緒だった相棒。
自らの生きがいであった2つを同時に失ってしまった駿馬は、まるで抜け殻のようになってしまうのでした。
これまで、あんなに情熱を燃やしていた陸上部をやめ、同じく帰宅部の友人と「ダラダラ同盟」なる毎日を送る日々。
そんな彼を変えたのは、「天文オタク」である同級生、すばるとの出会いでした。
学校にも行かず、毎晩雨の日も風の日も山に登り、天体望遠鏡を構えるすばる。
無数のラメを散らばせたようなキラキラした目で、毎晩一日も欠かすことなく、夜空を見上げ続けるのでした。
なぜすばるが天体観測を続けるのか。
大好きだったのに、もうこの世にはいない父親が見つけた惑星。まだ正式に認定されていないその惑星を、もう一度自らの手で見つけ、正式な記録として残したい…。
すばるのその強い思いに触れ、毎日何の目標も喜びもなく過ごしていた駿馬の心が動き始めます。
すばるの夢を叶えることが、自らの夢に変わっていった駿馬。
駿馬は、すばると同じく天体オタクの先輩・瑠生(るい)と共に天文部を立ち上げ、本格的に活動を始めます。
駿馬の熱い行動力、すばるの豊富な天文への知識、そしてプログラミングに長けた瑠生の知恵をフル動員して作り上げた努力の結晶、自動天体観測装置。
中学生のお小遣いで集めた、中古部品の寄せ集めで作った装置だったものの、そんなこと微塵も感じさせないくらいの働きで、彼らの天体観測の精度は格段に向上します。
途中でトラブルに見舞われたり、仲間割れが起きたりと、夢を叶えるのは決して従順な道ではありませんでした。
彼らの努力の結晶であった観測装置が、悪意を持った何者かに壊される、という事件が起きた際には正直、もう中学生の力ではどうしようもできないと、読みながら途方に暮れてしまうような感情が湧いてきました。
ですが、読者の私があきらめても、本の中の彼らは決してあきらめません。
もう駄目だと思っても、少しでもまだ道が残されているなら、全速力でそちらに向かって走り続ける。
そして、最後に夢をつかみ取っていく彼らの姿は、とてもキラキラ光り輝いていて、まる満天の星空のようにまぶしかったです。
私は大人になってから、興味を持ったことでも、少し手を出してみてうまくいかなかったらすぐにあきらめてしまうといった、ダメな大人の典型のような日々を過ごしていました。
ですが、まだ若い中学生なのに、辛いことを何度も乗り越えながら夢をかなえようとする彼らの姿に、「年上の私がすぐにあきらめてどうするんだ!」と、気持ちを奮い立たされました。
この本の中で、「何かを達成するよりも、辞めないことが一番難しい」という言葉が出てきます。
私はこれを読んで、本当にその通りだと思いました。
何か新しいことを始めるときは、夢や希望ばかりに目が行き、少しでもうまくいかないと感じると、それだけで当初の熱い気持ちがそがれてしまうことは、よくあると思います。
ですがそんなときには、困難を乗り越えて夢を掴もうとした、熱き主人公たちの姿を思い浮かべて、「もう少し踏ん張ってみよう!頑張ってみよう!」と思います。
満天の夜空を胸に浮かべながら、若き熱い心に触れられた、とても心に沁みた小説でした。
どうすれば夜更かししなくなるのか、考えてみた結果
一日最低でも7時間は睡眠を取ることを目標、というか、半ば義務にしている私。
1日7時間、できれば8時間寝れば、日中のパフォーマンスも向上するし、その日にたまったストレスも、次の日には軽いものにすることができる。
うつ病予防にも効果的!
現在入社1年目の新入社員である私は、社会人になってからある程度時間が経ったとはいえ、自分の体調管理にはとても気を使っています。
社会人になりたての頃、ストレスがたまりすぎて適応障害っぽくなってしまったことがありました。
あの頃の、ストレスに押しつぶされそうな日々の恐怖を繰り返したくないため、「睡眠がうつ病予防に効果的」という文言は、私にとってとても魅力的なものでした。
それなのに、心の一番奥の部分で、「健康に気を使わなきゃ!」という私の思い(建前)を押しのけ、「まだ寝たくない!」と叫んでくる本心。
「まだ寝たくないよ!だって、今寝て明日また起きたら、嫌々会社行って、ストレス受けながら仕事しなきゃいけないんだよ!」
そんな心の叫びが聞こえてきました。
以前適応障害っぽくなってしまった時から比べると、部署変更なども経て、今はかなり仕事へのストレスがマシになっています。
ですが、仕事が嫌いなことには変わらない。
ということで、明日の仕事のことを考えると、まだ寝たいと思えない。
とはいっても、寝不足を重ねることでストレスが発散できず、ますます仕事が嫌になってしまうことにも、恐怖心がありました。
本音を言ってしまえば、夜更かしして明日寝不足になっても、そもそも仕事のやる気ないので、パフォーマンス落ちても良い気もします。
ですが、一応車通勤なので、信号待ちの間にうっかり寝落ち…、とか怖すぎるし、仕事のやる気がないとはいえ、それがバレて怒られるのも嫌なのです。
そして、何よりも恐れているのは、睡眠の不足によって仕事のストレスが解消されず、また以前のように、適応障害、ましてはうつ病になってしまうこと。
「結局どうしたいんだよ私!」というような感じですが、そんな答えの出ない心のモヤモヤを抱えて、頭の中がぐるぐる…。
そんなこんなで次の日、「どうすれば私は早く寝られるようになるんだろう」と考え、仕事中に(←本当はだめですよ)ネットでその方法を検索し始めました。
そんなこんなで出会ったのが、「リベンジ夜更かし」という概念。
日中の時間に「不自由しかなかった」ために、「私の時間を返せー!」という思いから、夜にそのリベンジ(夜更かし)を始めてしまうのだそうです。
そしてそれの解決方法が、要するに「早く自分の欲求を満たしてしまう」べき、ということ。
はたして、私の欲求とは何なのだろう?
日々のストレスに生気と時間を奪われているせいで、「あれがしたい、これがしたい」といった、素直な自分の感情をどこかに置き忘れてきてしまっていたことに気が付きました。
ただ何となく疲れたから、椅子に座ってだらだらとテレビを観て終わる夜。
自分から進んでそのテレビ番組を観たいと思っているのなら、それは私にとって、自分の欲求を満足させられる、幸せな時間の過ごし方だと思います。
ですが、私にはそれがない。
「このテレビを観たい」ではなく、ただ何となくそれが流れていたから観る、という感じ。
そんなことばかりしてれば、寝る直前になって「私の欲求がちっとも満たされてない!」なんてなるでしょうね。
ただでさえ、日中は仕事でストレスたまりまくりなのにね。
テレビを観てだらだらするのも、疲れていたり、のんびりしたいときには、とても楽しく幸せな時間の過ごし方だと思います。
重要なのは、その過ごし方を「能動的」に選んでいるのか、それともただそこにあったものを「受け身」で消費しているのか。
これに気づいてからというもの、最近は意識して自分にとって楽しいと思える時間を増やすようにし始めました。
ゲームをしたり、帰宅途中に図書館に寄って本を借りたり、YouTubeを見たり…。
まあ、はたから見たら生産性も何もないですが、それが「私がやりたいこと」なのであれば、全く問題がないと思っています。
ささやかなことではありますが、自分の声に耳を傾けながら行動するようにすると、前よりも「夜寝たくない!」の感情が、マシになっているような気がしてきました。
とはいっても、やっぱり仕事は嫌だし、本当ならもっと夜更かししていたいですけどね(笑)
残業帰りで、かつ街中に住んでいるわけでもない私にとって、ネットで見かけるような、
「アフター5で習い事やちょっと豪華なディナー」なんてキラキラしたものはできません。
正直そんな限られた状況の中で、貴重な時間でいかに自分を楽しませるかを考えるのは、結構難しかったりします。
ですが、意識して自分を楽しませようと心掛けていると、プライベートの時間がとても大切なものに感じられて、「もっと自分の心の声に耳を傾けていきたい」と思えるようになりました。
これからも、意識して自分の心の声に耳を傾け、自分の欲求を満たしてあげるようにすれば、「今日一日を十分楽しんだ!」という清々しい気持ちで、何の未練もなく寝られるようになるのかな?
その境地に達するにはまだ時間がかかりそうですが、少しずつでも、前に進んでいけたらと思います。
映画HOMESTAY感想
アマプラオリジナル作品、HOMESTAYを観ました。
ジャニーズが主演の作品で、かつ予告編でキラキラした雰囲気が伝わってきたので、てっきり恋愛ものの作品だと思っていました。
ですが、そこで立ち止まらずに、ちゃんと観てよかったです!
良い意味で期待を裏切られました。
物語の初めの方は、確かに恋愛要素もあったのですが、中盤以降のガラッと雰囲気が変わるストーリ―が圧巻。
途中からずっと苦しくて、自分の心を強い力で鷲づかみにされ続けているような苦しみを覚えました。
途中の主人公が自殺を試みるシーンでの、「自分の存在を気づいてもらうために、死を選ぶ」という選択が、もう苦しくて苦しくて。
主人公は、本当にそれ以外何も見えなくなってしまうくらいに、完全に追い詰められていたのだと思いました。
ですがその一方で、「自分から声を発さないと、自分の苦しみには気づいてもらえない」という言葉にハッとさせられました。
誰もが自分の人生を生きるのに精いっぱいで、正直自分以外の人がどれだけ苦しんでいるのか、身をもって体感できていないと思います。
自分の人生を生きたいのなら、他人に期待し、依存しようとするのではなく、「自分の道は自分で切り開く」くらいの気概が必要なのかなと思いました。
とはいっても、人生のどん底に突き落とされたときに、正直そんなことを思いつく心のスペースは残されていないですけどね…。
個人的に一番胸に刺さったのは、「自殺は自分自身を殺すこと」という言葉です。
仏教?の世界で、自殺した人は成仏できない、と聞いたことがあります。
自殺した人はそれまで十分に苦しんだのに、どうして死後にも苦しみを与え続けるのだろうと、これまでは正直、その教えが理解できていませんでした。
ですが、この映画を観て分かった気がします。
自殺すること、つまり自らの手で自らの命を殺してしまうことは、絶対にやってはならない「殺人」だということです。
自らの人生を終わらせてしまいたい、この世界から消えていなくなってしまいたい、そんな風に思っている人に対して、この言葉はとても残酷なものだと思います。
目の前に自殺したいと思っている人がいたら、「自殺は殺人」だなんて口が裂けても言えないです。
ですがこの映画を観て、もし私の知らないところで、見ず知らずの人で自殺をしたいと思っている人がいるとするならば、一人でも多くの人にそれを思いとどまってもらいたいと思いました。
そう願っているだけなので、実際に私が何か行動に移せるわけではありません。
けれども、自殺してしまうことは悲しいなと、漠然とした思いではありますが、強い願いのようなものが湧いてきました。
私は映画を観て、久しぶりに泣きました。
どうせキラキラした恋愛ものだろ、といって食わず嫌いしなくてよかったーと、心から自分を褒めたいです。
人生は、誰かの人生にHOMESTAYさせてもらっている。
そんな風に気楽に考えて、図太く生きていこうと思います。
とても良い作品に出会えました。
ありがとうございます!
十二人の死にたい子どもたち 冲方丁
廃業した病院にやってくる、十二人の子どもたち。建物に入り、金庫をあけると、中には1から12までの数字が並べられている。この場へ集う十二人は、一人ずつこの数字を手にとり、「集いの場」へおもむく決まりだった。
初対面同士の子どもたちの目的は、みなで安楽死をすること。十二人が集まり、すんなり「実行」できるはずだった。しかし、「集いの場」に用意されていたベッドには、すでに一人の少年が横たわっていた――。
彼は一体誰なのか。自殺か、他殺か。このまま「実行」してもよいのか。この集いの原則「全員一致」にのっとり、子どもたちは多数決を取る。不測の事態を前に、議論し、互いを観察し、状況から謎を推理していく。彼らが辿り着く結論は。そして、この集いの本当の目的は――。
性格も価値観も育った環境も違う十二人がぶつけ合う、それぞれの死にたい理由。俊英・冲方丁が描く、思春期の煌めきと切なさが詰まった傑作。
集団での安楽死を求めて、廃病院に集まった12人の子供たち。
早速その目的を果たそうとするも、そこにはいるはずのない13人目の人間、しかも呼吸の無い状態の人物がすでに横たわっていました…。
いったいその人物は何者なのか?、正体も事情も分からない人物を巻き込んで、自殺を図っても良いのか…?、そもそもその人物は、ここにいる12人のうちの誰かに殺されたのではないだろうか…?
様々な憶測が飛び交い、簡単には安楽死に踏み込めないような状況の渦に、12人は巻き込まれていきます。
そんな中で明らかになっていく、一人ひとりの死にたい理由…。
「死」という思いテーマを扱っていましたが、ミステリー要素も含んでいたためか、気持ちが重くなりすぎず、けれどもしっかりと「生きる」ことについて考えさせられるような、深い内容でした。
私はもともと映画を通してこの本と出合いました。
映画の映像が頭に入ったうえで、文章を読み進めてはいたのですが、映画と比べて登場人物一人ひとりの心情に深くフォーカスしており、とても引き込まれる内容だったと思います。
自分は過去に悪いことをしてきた、その罪悪感に耐え切れず、「逃げる」ために死を選ぶ人もいました。
それとは反対に、「死」という自分の選択は全く間違っていない、むしろその行為によって、自分がどれだけ尊い存在だったかを周囲に理解してもらうために、死を選ぶ、そんな考えを持つ人もいました。
私にとって自殺とは、どんな理由があれやってはいけないこと、というどこかそれ以上深堀してはいけないような概念です。
ですがこの本を通じ、自ら死を選ぶ12人の心情に触れていく中で、自分の「生きる」ことに対しての信念のなさというか、軽さというものを、目の前に突き付けられた気がしました。
どうして自ら命を絶ってはいけないのか、それをきちんと言葉にすることができるのだろうか、今の自分にはそれができない、と。
自殺を思いとどまらせるために声を掛けるとしたら、もしこの本の登場人物くらいの年齢であれば、「家族が悲しむよ」なんて言ってしまうかもしれません。
ですがこの本の中の登場人物は、私のこれまで生きてきた世界からは大きく隔たれた場所にいました。
親に保険金を掛けられている、自分が死んだらむしろ親は喜ぶ、なんて今の私からは全く想像できない世界の話でした。
それだけでも、私はとても恵まれた生活をしているのだなと思わされます…。
親に保険金を掛けられている、親に保険金が入らないように、自殺として死にたい。
そんなことを言っている人に、自殺を思いとどまらせる言葉って、何なのでしょうね…。
この本の中では、最後は全員納得して安楽死をやめる決断を選択しますが、それはやはり、お互い「死にたい」と心から願っている同士だからこそ、相手の深い感情を揺さぶることができたのかなと思いました。
そして、この本の中で個人的に一番衝撃だったのは、「私たちはそもそも生まれてくるべきではなかった」という主張を持った人物に対して、他の自殺を望む人たちが、「それは間違っている」と主張したことです。
前者の主張を聞いて私も、そもそも生きることをやめて死を選ぶのならば、結局は生まれてこなかったのと同じではないか、と一瞬思ってしまいました。
ですが、それをきっぱりと否定し、これまで生きてきた自分の軌跡をしっかりと肯定した他の人物たち。
その姿を見て私は、どんな事情を抱えているのであれ、「今を生きている」ことそれ自体がとても尊いものなのだと、実感させられました。
自分の人生を終わらせてしまいたいと思っても、自分が生まれて、これまで必死に生きてきたこと自体を抹消されるのは耐えられない。
そう思えるくらい、一人ひとりがこれまでの人生を、自分の足で必死に歩いてきたのだと思わされました。
そしてその姿を見て私も、今生きていられることに感謝して、最後に死ぬ瞬間にこれまでの自分の人生を肯定できるように、これからの日々も自分の足でしっかり歩いていこうと思いました。
私の推し・SixTONESについて語るブログ
私の大好きな推し、SixTONESについて書きます。
まず、私も少し前まで読み方を理解できていなかったのですが、「ストーンズ」と読みますよ、皆さん。
「シックストーンズ」ではないですよ。
時々私の周りでも、「シックストーンズ」と呼んでいる方が時々いるので、それを聞くとちょっと悲しくなります…(涙)
もっとたくさんの人に、正しい読み方とともにSixTONESの素晴らしさが伝わってほしいと思いながら、このブログを書いています。
まず、SixTONESは2020年1月22日にSnowManと同時デビューを果たした6人組ジャニーズグループです。
つい先日、デビュー2周年を迎えました!パチパチ!
デビューしてからはまだ2年ですが、グループを結成したのは2015年で、ジャニーズJr.として、長く下積み時代を送っています。
ジャニーズは10代でデビューもの、という意識がメンバーの中であったようで、20代を超えた自分たちは、この先もずっとデビューできないのではないか、という不安もあったようです。
ですが、そんな苦悩を乗り越えたからこそ出せるような、成熟して、かつ歌も踊りも完璧なパフォーマンスが、SixTONESの最大の魅力となっています。
今年の元日に、デビュー曲であるImitation Rainが、ジャニーズ初のTHE FIRST TAKE (YouTube)にアップされたのですが、もうこれが素晴らしすぎる。
踊りがなくても、十分歌唱力だけで日本のトップアーティスト名乗れますよ。
特に私は、メインボーカルである京本大我くんが好きなのですが、曲の終盤で出てくるサビでの彼のハイトーンボイスは、引き込まれない人なんているはずないと思います。
このブログを見た方は、今すぐYouTubeを開いて、Imitation RainのTHE FIRST TAKEを見てください(笑)。
そして、歌唱力に負けず劣らず素晴らしすぎるのが、そのダンス。
SixTONESの皆さんはJr.時代からオリジナル曲を出していて(CD化はしていません)、そのPVやダンス映像もYouTubeにアップされているのですが、もうこれが何度見ても感服。
なぜ今までデビューさせなかったんだ、と言いたくなるくらい、十分に洗練された完璧なパフォーマンスを楽しむことができます。
私はPVだけではなく、彼らのダンスOnlyの映像を見るのが好きなのですが、何度見ても飽きることがありません。
私はSixTONESにハマる前まで、どちらかというとJ-POPよりK-POPの方がダンスのクオリティが高いと思っており、「ジャニーズもしょせん顔で売ってるようなグループだろ」、なんて思っていました。
ですが、SixTONESに出会えた今、全力でそのことを謝りたいです。
私が一番好きなダンスは、デビュー後2曲目のシングル、「Navigator」なのですが、もう動きが素晴らしすぎる。
腕や足、腰など全身をキレイにくねらせながら、華麗に繰り広げられる1つ1つの動きが、見ていて本当にため息が出ます。
これも、今すぐ皆さんYouTubeを開いて、その目で映像を見ていただきたいです。
そして、私と一緒にSixTONESの沼にハマりましょう(笑)
ここまでで十分な長文になってしまったのですが、まだお付き合い頂ける方に向けて書きたいのが、SixTONESのYouTubeチャンネル、通称ストチューブについてです。
もともとSixTONESは、ジャニーズJr.のYouTubeチャンネル内で、金曜日を担当していました。
デビューをきっかけに、独立してYouTubeチャンネルを開設しているのですが、「彼らは本当にアイドルか?」と言いたくなるくらい、ユーチューバー力が高い(笑)。
実際の企画などはスタッフさんが考えてくれるようですが、それをこなしているときの、とにかく話が尽きないトーク力の高さ。そして次第には、本来の企画からわき道からそれて、勝手にメンバー内で盛り上がり始めてしまう仲の良さ。
それがほほえましくて、6人のやり取りが楽しすぎて、こちらも見ているだけで自然と笑顔がこぼれてきます。
最近、YouTube界のボス・ヒカキンさんとのコラボ映像をアップしていたのですが、SixTONESをあまり知らない方からも、彼らのトーク力の高さを称賛するようなコメントが、数多く載せられていました。
そしてそれを見て、「またSixTONESの魅力が広まったぞ」と、私はニヤついていました(笑)。
現在も、主に毎週金曜日に新しい動画がアップされています。
私がSixTONESにハマったのは、ストチューブがきっかけなのですが、私以外にも同じ理由でハマる方が多いみたいです。
それでは本日3回目。
これを読んでいる皆さんは、今すぐYouTubeを開いてSixTONESのチャンネル登録をしましょう(笑)。
すみません、ゴリ押ししているつもりはないです…。くれぐれも、私のしつこさがきっかけでSixTONESを嫌いになったりしないでくださいね、これは本当に切実。
長文になってしまいましたが、私のブログをきっかけに、一人でも多くの方にSixTONESを好きになっていただきたいです。
私はSixTONESに出会えて、毎日がとてもハッピーになりました。
私と同じ思いを持ってくださる方が、一人でも増えますように。
チア男子!! 朝井リョウ
男子チアリーダーたちの青春スポーツ群像劇
女子の世界だった大学チア界に、男子のみの新チームが旋風を巻き起こす!? 人を応援することで主役になれる世界で唯一の美しいスポーツ、チアの魅力も満載の、笑って泣ける傑作青春小説。書き下ろし。
これこそ「THE 青春!」な本です。男子大学生たちが、時に激しくぶつかり合い、励まし合い、支え合う、そして着実に成長していく姿が圧巻でした。
認知症の祖母に、自分の存在を思い出してもらうために、今は亡き両親と同じくチアを始めた一馬。
人生をささげていた柔道を、けがをきっかけに辞め、新たな道へと進みだそうとする春樹。
幼馴染であり親友である二人は、男子だけのチアリーディングチームを結成します。
大学に張り付けた、派手な勧誘ポスターに始まり、履修していない体育の授業に潜り込み、運動神経のいい男子をスカウト。
そんなこんなで集まったメンバーは、本気でチアへの情熱を燃やしているメンバーもいれば、なんとなく楽しそうだからと、ノリでチームへの参加を決めるメンバーもいます。
体つきだって、運動神経抜群の、チア向きのスラっとした体形の持ち主もいれば、余分な脂肪を蓄えて一人で倒立もできないメンバーも。
メンバーが全員個性豊かな選り取り見取りすぎて、果たしてこんな集まりでチアができるのだろうか?なんて、余計な心配をしてしまいました。
ですがこの物語の登場人物たちは、華麗な演技で私の不安を爽やかに払拭してくれます。
もちろん、初めからうまくいったわけではありません。
手探りの状態で、何度も果敢に難しい技に挑戦しては、失敗を繰り返してしまいます。
そんな中でも、汗と涙にまみれながら、時に激しくぶつかり合い、励ましあい、支えあう、そして着実に成長していく彼らの姿は、私の胸を強く打ってきました。
終盤シーンにかけての、全員が呼吸を合わせて一つの壮大な演技を作り上げていく姿は、圧巻です。
この本を読んでいる間は、自分もこの本の中の登場人物の一人になって、大切な仲間とともにかけがえのない時間を手に入れていくような、熱い感覚を一緒に味わえました。
社会人になってから、少し色あせていた青春を思い出させてくれた一冊でした。