十二人の死にたい子どもたち 冲方丁

 

廃業した病院にやってくる、十二人の子どもたち。建物に入り、金庫をあけると、中には1から12までの数字が並べられている。この場へ集う十二人は、一人ずつこの数字を手にとり、「集いの場」へおもむく決まりだった。
初対面同士の子どもたちの目的は、みなで安楽死をすること。十二人が集まり、すんなり「実行」できるはずだった。しかし、「集いの場」に用意されていたベッドには、すでに一人の少年が横たわっていた――。
彼は一体誰なのか。自殺か、他殺か。このまま「実行」してもよいのか。この集いの原則「全員一致」にのっとり、子どもたちは多数決を取る。不測の事態を前に、議論し、互いを観察し、状況から謎を推理していく。彼らが辿り着く結論は。そして、この集いの本当の目的は――。

性格も価値観も育った環境も違う十二人がぶつけ合う、それぞれの死にたい理由。俊英・冲方丁が描く、思春期の煌めきと切なさが詰まった傑作。

 

集団での安楽死を求めて、廃病院に集まった12人の子供たち。
早速その目的を果たそうとするも、そこにはいるはずのない13人目の人間、しかも呼吸の無い状態の人物がすでに横たわっていました…。

いったいその人物は何者なのか?、正体も事情も分からない人物を巻き込んで、自殺を図っても良いのか…?、そもそもその人物は、ここにいる12人のうちの誰かに殺されたのではないだろうか…?

様々な憶測が飛び交い、簡単には安楽死に踏み込めないような状況の渦に、12人は巻き込まれていきます。
そんな中で明らかになっていく、一人ひとりの死にたい理由…。

「死」という思いテーマを扱っていましたが、ミステリー要素も含んでいたためか、気持ちが重くなりすぎず、けれどもしっかりと「生きる」ことについて考えさせられるような、深い内容でした。


私はもともと映画を通してこの本と出合いました。

映画の映像が頭に入ったうえで、文章を読み進めてはいたのですが、映画と比べて登場人物一人ひとりの心情に深くフォーカスしており、とても引き込まれる内容だったと思います。

自分は過去に悪いことをしてきた、その罪悪感に耐え切れず、「逃げる」ために死を選ぶ人もいました。
それとは反対に、「死」という自分の選択は全く間違っていない、むしろその行為によって、自分がどれだけ尊い存在だったかを周囲に理解してもらうために、死を選ぶ、そんな考えを持つ人もいました。

私にとって自殺とは、どんな理由があれやってはいけないこと、というどこかそれ以上深堀してはいけないような概念です。

ですがこの本を通じ、自ら死を選ぶ12人の心情に触れていく中で、自分の「生きる」ことに対しての信念のなさというか、軽さというものを、目の前に突き付けられた気がしました。

どうして自ら命を絶ってはいけないのか、それをきちんと言葉にすることができるのだろうか、今の自分にはそれができない、と。

自殺を思いとどまらせるために声を掛けるとしたら、もしこの本の登場人物くらいの年齢であれば、「家族が悲しむよ」なんて言ってしまうかもしれません。

ですがこの本の中の登場人物は、私のこれまで生きてきた世界からは大きく隔たれた場所にいました。

親に保険金を掛けられている、自分が死んだらむしろ親は喜ぶ、なんて今の私からは全く想像できない世界の話でした。

それだけでも、私はとても恵まれた生活をしているのだなと思わされます…。

親に保険金を掛けられている、親に保険金が入らないように、自殺として死にたい。

そんなことを言っている人に、自殺を思いとどまらせる言葉って、何なのでしょうね…。

この本の中では、最後は全員納得して安楽死をやめる決断を選択しますが、それはやはり、お互い「死にたい」と心から願っている同士だからこそ、相手の深い感情を揺さぶることができたのかなと思いました。

そして、この本の中で個人的に一番衝撃だったのは、「私たちはそもそも生まれてくるべきではなかった」という主張を持った人物に対して、他の自殺を望む人たちが、「それは間違っている」と主張したことです。

前者の主張を聞いて私も、そもそも生きることをやめて死を選ぶのならば、結局は生まれてこなかったのと同じではないか、と一瞬思ってしまいました。

ですが、それをきっぱりと否定し、これまで生きてきた自分の軌跡をしっかりと肯定した他の人物たち。

その姿を見て私は、どんな事情を抱えているのであれ、「今を生きている」ことそれ自体がとても尊いものなのだと、実感させられました。

自分の人生を終わらせてしまいたいと思っても、自分が生まれて、これまで必死に生きてきたこと自体を抹消されるのは耐えられない。

そう思えるくらい、一人ひとりがこれまでの人生を、自分の足で必死に歩いてきたのだと思わされました。

そしてその姿を見て私も、今生きていられることに感謝して、最後に死ぬ瞬間にこれまでの自分の人生を肯定できるように、これからの日々も自分の足でしっかり歩いていこうと思いました。